札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「一人だけです」

更新日:2011.2.20

コリントの信徒への手紙一 9章24-27節

牧師:榮 英彦

「朝、新聞を読む前に聖書を読め!」若い頃に全道夏期修養会に来られた講師がこのように語り掛けられました。これを実行できないままに現在の自分があることを心に留めながら今日の歩みが始まりました。このどうすることも出来ない自分を自覚しながらの歩みであることを認めつつの日々です。

ヨハネ福音書8章に、当時の社会通念から裁きを受けている一人の人間の姿が示されます。そしてイエス様は人間の内に秘められた「命」の尊厳を示されるのです。他には変えられない、たった一つの命に生きるようにとの示唆があります。これを覚えることが求められます。以前に詩人・八木重吉は(この寂しさを誰に告ぐべき/神に告ぐべし)とうたいました。社会の波は(朝、目覚めたら自分が虫に変えられていた。)とのカフカによる小説を発表しました。こうした思想の変遷の中にも聖書が語る「主イエスは死んで甦り私達の前に立ち招いていて下さる」との証言にのみ立つ教会は姿勢を崩しません。

競争社会であることには昔も今も変わりありません。以前に聞いた(競争率がどんなに高くても最後は貴方と並ぶ者との勝負なのだ!)と云う人生に対する励ましの言葉は今も同じであるように思います。パウロが「賞を得るものは一人だけである。賞を得るようにあなた方も励みなさい」と勧めるのは、まさに神の前に立つ時は「ただ一人立つ!」のであることを明示していることを思い起こしましょう。信仰生活は(自分が神の許に立つ!)ことを他にしてないのです。

一人厳しく信仰に生きようと歩む時、時代の波はその姿勢を崩そうとして私達に襲いかかってきます。信仰告白が空しいものとして終わらないようにひたすら「聖言葉を求め、み言葉に生き」ましょう。

(2011年2月20日礼拝説教より)

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