「パウロの弁明」
更新日:2011.1.23
使徒言行録21章37-22章5節
牧師:米倉 美佐男
37節、パウロは兵卒たちにかかえられるようにして兵営にかつぎこまれようとした時に、千人隊長に向かって「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と問いかけます。いきなり群集に話をさせろと要求したのではなく、責任者である隊長に話してもよいかと許しを乞いました。パウロのこの態度は千人隊長に大変好感を与えました。パウロの言葉と態度が隊長の心をしっかりと掴み、動かしたのです。
最初隊長はパウロをローマ軍を悩ます、パレスチナの反乱を企て起こす者たち、特に最近反乱を起こしたエジプト人の一味だと思っていたとあります。パウロは自らを隊長に紹介し、自分はまぎれもないユダヤ人であり、タルソスというれっきとした都市の市であること、つまりローマの市民権を有しているユダヤ人であると言いました。ギリシャ語を話し、ローマ市民権を持っているとのことで千人隊長はただちにパウロの申し出を許可したのです。
許可を得たパウロは、騒ぐ群衆に向かってヘブライ語で語ります。隊長にはギリシャ語、群集にはヘブライ語、ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のようにということの実践例がここに示されているのです。
パウロは自分の弁明のために複雑な議論をしようとは考えていません。自分の見たこと、聞いたことだけを語りました。自分の思いではなく信仰を語ったのです。必要なことは必ず神が備えてくださるという信仰が彼にはありました。ローマ市民権を有していたことも、最高の学識を身につけられたこともみなキリストの伝道者として用いられるために備えられたものであった。パウロの偉大さはそのことをだれよりも本人が自覚していたことです。生まれながらの自由人がキリストに捕らえられて、キリストの奴隷となった。そこに真の救いがあったことを知り、従ったのです。主は必要な時に、必要な所で、必要な人を、必要な物を、必要な仕方で送り、備えてくださるのです。
(2011年1月23日礼拝説教より)