札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「初めに言があった」

更新日:2011.1.2

ヨハネによる福音書1章1-5節

牧師:米倉 美佐男

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
2011年の最初の主日礼拝を共に献げることができますことを感謝します。今朝与えられた聖書の箇所はヨハネの福音書の1章1-5節です。この福音書の著者は、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子、メシアであると信じるため、信じてイエスの名によって命を受けるため」(20・31)と言います。イエス様を知らない、信じていない人たちに、主イエスこそまことの救い主、神の子、キリストである。と、命をかけて証言したのです。

「初めに言(ロゴス)があった」(1節)。旧約聖書創世記1章1節、も「初めに」と書き出されています。ヨハネは天地創造以前からロゴスがあった。そのロゴスがキリストであり、キリストは最初から天地創造の神と一緒だったというのです。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であったと宣言するのです。被造物のすべてがロゴスと共にあり、神が光あれと言われると光ができた。すべての被造物は神の言葉によって命があるのです。

人を生かす光が救い主キリスト・イエスです。しかし、光を受け入れようとしない闇がこの世の現実としてあるのです。しかし、私たちには私たちを正しく生かす、生き生きと生かすロゴスが与えられているのです。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光をもつ。」(8・12)。光であるロゴス、主イエス・キリストと共に生かされましょう。主に在って我らは生き生きと生かされるのです。
神を受け入れようとしない世界、キリストを拒絶する世界が私たちの日常の中にもあるのです。それは決して他人ごとではないのです。今、私たちが生きているこの時代にもありますし、私たち自身の中にもあるのです。主の言だけを聞く者として生かされましょう。

(2011年1月2日礼拝説教より)

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