札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「イエス・キリストの名によって」

更新日:2025.3.3

使徒言行録 第3章1-10節

酪農学園宗教主事 朴美愛牧師

初代教会の「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(第2章42節)信者たちの生活は、周りの人々に好意を寄せられ成長し、広がって今日に至りました。
ペトロとヨハネは祈りの時に神殿に上ると、生まれながら足の不自由な男が運ばれてきました。彼は「美しい門」と呼ばれる門のそばに置かれて、生きるために施しを受けていました。施しはユダヤ教徒にはほめられる信仰の行為で、喜んで施しをしていました。
彼は境内に入ろうとするペトロとヨハネを「見て」(自然的)施しを乞うたのです。二人は「彼をじっと見て(意識的)『わたしたちを見なさい』」(4節)と言いました。「じっと見る」とは、他者に対する関心です。私たちはイエス・キリストに目を合わせていると、自分の周りの他者にも関心(愛)を持つ人へと変えられるのです。
そして、ペトロは「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)と。金を乞う彼には期待はずれです。実に、今のペトロとヨハネは金や銀はなかったと思います。しかし、持っているものがあります、「イエス・キリストの名によること」です。すなわち、イエス・キリストの力、教え、行い、十字架によって成し遂げられた救いの恵みを現すのです。名前とはその人の人格、存在、全体を代表するものであります。
ペトロとヨハネは彼が期待していた施しとは比べられないものを持っていました。「イエス・キリストの名によって」与えられる喜び、希望と救いであります。ペトロが手を取って立ち上がらせると、彼は踊り上がって立ち、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入りました。礼拝者になったのです。
私たちは何を持っているのでしょうか。私たちも、「持っているもの」を示し、与えなければならないのです。それは「イエス・キリストの名によって」行われる救いの御業であります。アーメン

(2025年2月23日礼拝説教より)

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