札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の畑の刈り入れを待とう(マタイ57)」

更新日:2025.6.30

マタイによる福音書 第13章24-43節

小林 克哉 牧師

イエスさまは「畑の毒麦のたとえ」を話されました。神の畑には、良い種が蒔かれ、良い麦が育つ。神を信じる者たちです。しかしこの世界には良い麦ばかりが生えているのではありません。毒麦も蒔かれ生えています。
良い麦がまっすぐすくすくと育っていこうとするとき、毒麦が邪魔となり、いや毒麦に浸食されるようにさえ見えるかもしれません。そのような毒麦は見つけたらすぐに抜けばいいと考えるのが普通でしょう。なるべく早いほうがよいと。ところがこのたとえの主人は違うのです。「主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。』」(29-30節)
このたとえを聞きながら、わたしたちはあの人は毒麦かもしれないと思ったり考えたりするでしょうか。それとも毒麦に見えるのは自分かもしれないと思うでしょうか。イエスさまはすぐに毒麦を抜くのでなく待たれると言うのです。良い麦を、毒麦だと思って抜いてはいけないと言われるのです。一つの麦を守るため、忍耐し、待つと言われるのです。
わたしたちは神を知らず、イエス・キリストを信じていなかったとき、信仰の眼差しからするならば毒麦にしか見えない姿だのではないでしょうか。しかしイエスさまは待ってくださいました。イエスさまと出会い、神を信じるようになるまで待ってくださった。御言葉は、今はわたしたちが神に背く毒麦に見えたとしても、神は愛し忍耐して、良い麦とされ天の国へと刈り取られるのを待っていてくださると言うのです。
神の畑であるこの世界は今どのような姿をしているでしょうか。たとえ周りが毒麦ばかりに見えたとしても、実は良い麦なのかもしれないのです。だからわたしたちは、忍耐をもって、イエス・キリストの十字架によってもたらされた救いを宣べ伝え続けていくのです。アーメン

(2025年6月22日礼拝説教より)

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