札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「聖なる者の貧しさ」

更新日:2011.1.16

ローマの信徒への手紙12章9-16節

牧師:榮 英彦

イエス様がお生まれになった後、聖霊の御導きによってその地を離れ、「公生涯」としての歩みを始められる迄のお姿は聖書に記されておりません。やがて始まる受難節迄どのようにして御言葉に聴けば宜しいのでしょうか。先人達が深い祈りを基として残してくれた<日々の聖句>に従えば、本日の聖句に、ヨハネ2章とローマ書12章が示されていました。それで、あえてこの箇所を取り上げることにしました。(個人の信仰を守り鍛えようとする時に、自分の思いから離れて、他者より示された聖書の箇所を読むようにすることは大切だと捉えています。)

ローマには未だ教会がありませんでした。当時の世界の中心地であったこの大都市にパウロも是非行って見たいと心を傾けていました。キリスト教の何であるかをその前半に述べた後、信仰者の生活姿勢について語っているのが12章以下になるのですが、9節に「愛には偽りがあってはなりません」と厳しい勧めが述べられています。お互いの歩みが「愛」によって支えられていること、と分かりながら、相手を真に愛しているのかに疑問を覚えてしまうことが多々ある私達の歩みです。もう半世紀も前の映画に「490」と題したものがありました。内容はあの「7度70倍にするまで許しなさい」が取り上げられていて、491回目の罪をどうすべきかが指摘されていました。キリスト者の生活はこの厳しい愛を基盤として造られています。これは、主(キリスト)に生かされる姿勢を指摘しています。いま、私達も自分の生かされている原点を確かりと捉えなおしたく願うものです。

信仰者の歩みが「聖(世間とは違う)なる者」であることをもう一度自覚し、主と共に謙虚な道を歩みたく祈りましょう。

(2011年1月16日礼拝説教より)

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