札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「イエスは生きている」

更新日:2011.3.13

使徒言行録25章13-27節

牧師:米倉 美佐男

最初に一昨日東日本を襲った大地震で被害に遭われた多くの犠牲者その関係者、また今なお不安の中にいる方々の上に主の豊かな慰めと平安があるように祈ります。このような時にこそ主のみ言葉に聞く姿勢を持つことが大切です。

フェリクス、フェストゥスの両総督による裁判が終わり、次にアグリッパ王による裁判へと話が展開して行きます。フェストゥスの裁判の数日後、アグリッパとベルニケがフェストゥスを訪ねました。新総督就任祝いの表敬訪問でした。その時、フェストゥスのほうからパウロのことが話題されました。フェストゥスの意見ははっきりとしていす。パウロには何の罪も見い出せない、無罪ということでした。ユダヤの宗教に関することで自分が扱うべきものでないことも彼は自覚しています。ただユダヤ人のアグリッパには興味があるのではと思って話しをしたのでしょう。
フェストゥスはパウロの主張の中心がイエス・キリストの復活であることを見抜いていました。イエスが生きておられると言ったのはパウロ信仰です。調べる中でフェストゥスは問題の核心はここにあると思ったのです。

ただパウロが皇帝に上訴すると言ったのでローマに送ることにしたのです。アグリッパ王もパウロに会ってみたいと申し出たので会見(裁判)が実現したのです。
翌日、アグリッパはベルニケと一緒に支度を整え、千卒長、町のおもだった人を従えてパウロを謁見しました。パウロをローマの皇帝に送るためにいい方法を考えて欲しいとフェストゥスはアグリッパに頼みます。
周囲の人々がそれをどのように受け止めたとしてもそれはあまり大きな問題ではありません。今、私を捕えて下さった主イエスにどれだけ忠実に従おうとしているかが大きな課題なのだと聖書は私たちに問うているのです。

(2011年3月13日礼拝説教より)

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