「言は肉となった」
更新日:2011.5.29
ヨハネによる福音書1章6-18節
牧師:米倉 美佐男
「言は自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(11-12節)。
ヨハネの1章1節は「初めに言=(ロゴス)があった」と書き始められています。言は神と共にあった。言は神であった。言=(ロゴス)は主イエス・キリストのことです。この福音書が書かれた時代のこの福音書を読む人たち、聞く人たちの心に響くように福音書の記者は伝えたのです。
6節以下に示されるのは先の三つの福音書の形式と旧約聖書の内容を受け継ぎながら語っている内容です。6-8節は主イエスの前にイエスを証しする人としてヨハネ(バプテスマの)が登場し、光である主イエスのことを証しするために彼がきたことを告げます。その後にまことの光である主イエスが来られました。それがこの箇所のメッセージです。「まことの光」を世は認めず、受け入れません。ご自分の民も拒絶しました。しかし、その中で受け入れた者たちもいたのです。彼らには神の子となる資格が与えられました。信仰によって神の民とされたのです。
大事なメッセージがもう一つあります。「言は肉となって、わたしたちの間に宿た。」受肉です。初代教会から伝えられてきた、人となった神、まことの神にしてまことの人、それが主イエス・キリストです。ロゴス(言)が肉となる。イエスは栄光の主として恵みと真理のうちに、父なる神ヤーウェの独り子として世に誕生してくださいました。主イエスこそ約束されたメシヤ=キリストです。神を見た者はだれもいません。ただイエスのみが神を示して下さいました。イエス・キリストなしに私たちは神にたどりつくことはできないのです。主イエスだけが唯一の救いをお与え下さるのです。私はイエスに出会って救われました。その救いを自分だけのものにせず、まだイエスを知らない人たちにも伝えて行きたいのです。主に生かされる幸いを。
(2011年5月29日礼拝説教より)