札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「天地創造」

更新日:2011.6.19

創世記1章1-2章25節(1章1-5節)

牧師:米倉 美佐男

「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一日の日である。」(1-5節)。創世記の1章、2章は神の創造の話です。主なる神が創造者であり、自然世界すべて、宇宙も被造物であり、人間もまた被造物です。

世界の最初は混沌でありました。「光あれ」という神のみ言葉によって創造は開始れ、混沌から秩序が与えられました。造られた世界はすべて神によって良しとされました。神の言葉は祝福された未来を拓く力でした。「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」神の言葉は聖書では祝福の言葉です。ノアにもアブラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルに繰り返し語られてきた言葉です。新しい神の民、新しいイスラエルである教会にも、この言葉は生きて働くのです。創造物語を通して語られているのは神の祝福、救いの出来事です。いつの時代でも、今まで築いてきたものが根こそぎ崩壊するなかで、失望し、混沌とした状況の中で、見失ってははならないことがあるのです。生きることに意味を見い出せず、弱っている者に対し、生きよと力強く働きかける神の確かなみ言葉、救いの宣言を。教会は伝えて行くのです。神は創造を完成し、休まれました。私たちはその日を神を礼拝する日としたのです。本当の休みは「すべてが終わった」と十字架で語られたイエスが示すように一切を完了し、目的を達した、完成としての休みに与る時に与えられます。また神は人間にふさわしい伴侶を与えて下さいました。「人がひとりでいるのはよくない。」女性が男性にとってふさわしい相手として与えられました。聖書が示すのは人間が孤独では生き得ないことを示しています。キリストを中心とした交わりによって人が人となるのす。

(2011年6月19日礼拝説教より)

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