「決定的な出会い」
更新日:2011.7.10
マルコによる福音書16章5-15節
牧師(在外教師):ナグネ
決定的な出会いは人を変えます。人が変われば世界が変わります。そうであれば、決定的な出会いはそれ自体一つの事件です。
マルコは福音書の最後の部分で三つの同じ出来事を語りました。復活したイエスとの出会いを通して、信じなかった人が信じる者とされたということです。それはまずマグダラのマリアに、次にイエスと一緒にいた人々、そのうち特に田舎の方に歩いて行く途中の二人に、そして食事をしている十一人の弟子たちに起こりました。共通しているのは、イエスの復活の話を聞いただけでは信じなかったような人のところに復活したイエスの方からやって来られ、その出会いを通して皆信じる者とされたということです。
与えられた短い御言葉の中で「信じなかった」という言葉が三度も繰り返されています。同時にイエスが現れたとも記されています。復活したイエスは、聞いただけでよく「信じる」ような人を評価して会いに来られたのではありませんでした。むしろ聞いても「信じない」ような不信仰な人へと一方的に近づいて、会いに来られたのでした。神様の愛はこのように激しいものです。神様は御子の復活など信じないような私たちの世界、私たちの不信仰の現実のただ中にやって来てくださり、復活を通して新たな出会いを引き起こしてくださり、この出会いを経験した人が、信じないではいられなくなるようにしてくださるのです。
イエスは、復活の知らせを聞いても信じなかったような弟子たちを叱りながらも福音宣教を命じられました。弟子たちに対するイエスの信頼の深さはそれほどに深く大きいものでした。私たちにも同様に福音宣教が委託されています。これまでいくら語っても信じてくれなかったあの人も、復活のキリストと出会えば必ず信じる人となるにちがいありません。私たちがそうだったではありませんか。だから私たちも出て行って伝道しようではありませんか。伝道するとは、実に愛することと一つです。復活のキリストがそうしてくださったように、愛して信じるのです。あの人にも復活のイエスとの決定的な出会いが、明日にはきっと起こることを信じて。
(2011年7月10日礼拝説教より)