札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「刈り入れを待つ」

更新日:2011.8.28

ヨハネによる福音書4章31-42節

牧師:米倉 美佐男

サマリヤのシカルという町の井戸端での出来事の続き。
食べ物を買いに町へ行った弟子たちが戻ってきました。「ラビ、食事をどうぞ」と弟子たちは先生に勧めました。主イエスは弟子たちにご苦労さまとも、ありがとうと礼も言わずに、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある。」と申します。弟子たちは「だれかが食べ物を持ってきたのだろうか」と互いに言いました。

先の水の時は渇くことのない「永遠の命に至る水」、ここでは「わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」が食べ物だと言われます。食べ物は人の生を養い育てるエネルギーです。神の業を成し遂げる喜びのために私たちは生かされているのだよと、主は弟子たちに示されました。刈り入れまでは4カ月あると安心してはなりません。収穫はまだ先だと言う気の緩みを払拭し、すぐに借り入れる事が大事です。なぜなら、目を挙げて畑を見なさい。もはや色づいて刈り入れを待っているからです。主が言われた意味は伝道の収穫は今蒔いたらすぐに借り入れる、そのくらいスピーディなものだと言うのです。伝道は今だ、先の事ではないと弟子たちに語ったのです。蒔く者も刈る者も共に喜ぶ。主がこの地上に来られたのだからすでに終末的刈り入れは始まっているのです。

神の国の伝道は誰が何をしたとか、あの人がどうのこうのではなく、与えられた恵みの大きさを感謝すべきことを示されました。伝道は与えられた各自のタラントを献げて精一杯すべきです。自分たちの働き、力を誇るのではありません。札幌教会も次週は創立122周年の時を覚えます。
先人たちの大きな種まきがあって私たちは共に刈り入れをするのです。私たちも種をまく者となりましょう。100年200年先を見通した伝道に参与したいと思います。
主を求める者は主のみ言を聞こうとします。その人々に届くようにみ言葉を大胆に語り伝えましょう。

(2011年8月28日礼拝説教より)

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