「イエスの言葉を信じて」
更新日:2011.9.11
ヨハネによる福音書4章43-54節
牧師:米倉 美佐男
「「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」(50節)
サマリヤでのシカルの井戸端での出来事を通してサマリヤに二日間滞在したサマリヤ伝道から二日の後、ガリラヤへ帰ったイエスを地元の人たちは歓迎しました。かつてイエスが「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言われたことがあったにもかかわらず。その理由はエルサレムでイエスがなさったことを地元の人たちが見ていたからであったと福音書の記者は記しています。
イエスが再度ガリラヤのカナに行った時、王の役人が重病の息子を治して欲しいと頼みに来ました。息子は今にも死にそうだと言うのです。一刻も早く死なないうちにカファルナウムに来て欲しい、と懇願する役人に、イエスは「帰りなさい。息子は生きる」と言われました。その人はイエスの言葉を信じて帰って行きました。ここに一番大事な意味があります。イエスの言葉を信じて帰る。それが信仰です。イエスが帰れ、生きる、と言われればその通りになることだけを信じて従うことが大事です。結果はその通りになりました。息子の病は癒され、役人も家族もこぞってイエスを信じたのです。
信仰とはイエスの言葉を聞いて信じること、そしてイエスに従うことです。願いがかなえられたから、自分の思う通りになったから信じます、ではないのです。私たちはみ言葉から神のみ旨の何たるかを聞く事のできる信仰の耳を、見る事のできる信仰の目を与えて頂けるように祈りましょう。聖書的に生きるということは、主と共に喜びと感謝の人生を送ることです。生きているのは、もはやわたしではないのです。キリストがわたしのうちに生きておられます。十字架と復活の主が「生きよ」と命じられます。イエスの言葉を信じて生かされる時に私たちは生き生きと生かされるのです。
(2011年9月11日礼拝説教より)