「五つのパンと二ひきの魚」
更新日:2011.10.23
ヨハネによる福音書6章1-15節
牧師:米倉 美佐男
「人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。」(14節)
イエスのなさった、病人の癒し等の奇跡を見てついて来た群衆たちは男性だけで五千人、女性、子どもがいたことを想定すれば少なくとも倍の数はいたかも知れません。 彼らの空腹を満たすにはどうしたらいいかをめぐってイエスと弟子たちとの間のやり取りが描かれています。
「イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われました。それはフィリポを試みるためだったと書かれています。フィリポの人物像は主イエスとのやとりを見る限り現実主義者です。持っている200デナリオンではこんなに大勢の人々は養えないと即座に判断しています。彼をイエスが試みられたのは彼を訓練するためでした。この時、アンデレは少年がパン五つと魚二ひきを持っていると報告します。しかし、アンデレもでもこれでは足りないと判断しています。しかし主イエスはパン五つと魚二ひきをパンをとり感謝して祈って人々に分け与えます。魚も同じようにして。人々は満腹になりました。その後「少しも無駄にならないように残ったパンくずを集めなさい」とイエスは弟子に命じます。残ったパン屑は12の籠にいっぱいになりました。
パンはイエスのみ言であり、イエスご自身です。11節の「感謝の祈り」の感謝は後に聖餐(ユーカリスト)となる言葉です。主が十字架で裂かれた肉体をパンとして頂くことが私たちの信仰を日々養い育てるのです。朽ちる食物でなく、朽ちない食物を頂き、永遠の命に与りましょう。主イエスだけが私たちに与えることのできる日毎の糧を頂くのです。それによって、滅びることなく失われることなく終わりの日によみがえる者として生かされるのです。
(2011年10月23日礼拝説教より)