「命に通じる門−狭き門より入れ」
更新日:2011.11.13
マタイによる福音書7章13-14節
牧師:米倉 美佐男
聖書はただの本ではありません。神様のことが書かれている大事な本です。旧約聖書39、新約聖書27からなる計66の書物からなっています。私たちキリスト教徒にとってはなくてならぬ正典です。主イエス様が唯一の救い主ですという証の本です。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(13-14節)。
ジイドの小説「狭き門」の表題はここからつけられました。御茶室のにじり口もここと関係があるかもしれません。札幌教会の玄関の入り口も建物の割には少し狭いと思います。この建物を建てた先輩たちの信仰が表れています。今から100年以上も前に、建てた方がちゃんと教会の建物、構造の意味を調べて建ててくれているのです。イエスさまを信じて歩むために何が大事なことかをきちんと伝えているのです。とその思いが伝わってきます。
狭い門、細い道とは何でしょうか。それはイエス様のことを指しています。ただ困難な道やつらい道を歩みなさい。救われるためには難行苦行の修業をつまなければ得られませんという勧めではありません。広い道とか広い門とは楽な方向をイメージできます。楽な道を選ぶのでなく苦しい道を行こうと考える事もできます。しかし、ここで問われているのは、救われるか、あるいは滅びるか、という信仰の問題です。救われるためには誰も見向きもしないかも知れないイエスを救い主と信じる事なのだと言う教えです。狭い門、狭い道とは具体的にイエス様を意味しています。
どうか、信じる者に救いを与える主イエスと出会って欲しいと思います。主は申します。「私は門である。わたしを通って入る者は救われる。」(ヨハネ10・9)。「私は道であり、命である。」命に通じる門がここにあります。
(2011年11月13日礼拝説教より)