「メシアが来られるとき」
更新日:2012.2.19
ヨハネによる福音書7章25-31節
牧師:米倉 美佐男
「メシアが来られるときは、どこから来られるのかだれも知らないはずだ。」(27節)。
主イエスはメシア、キリストであると信じることが私たちの信仰の告白です。しかし、誰もが主イエスを信じているわけではありません。敵対する人々もおりました。イエスを殺そうとねらっているユダヤ教当局者たちがいます。敵対しないまでも、イエスを「あれは良い人だ」と言いながら積極的に信じることはしない人たち、特にイエスをガリラヤ出身だと知っている者たちは、イエスをメシアだとは思いもしません。メシアがどこから来られるのを知っている者はだれもいないとの言い伝えを信じていたからです。
そのような声に対し主イエスは大声で言われました。「あなたたちはわたしのことを知っており、どこの出身かも知っている。」。しかし、その意味はあなたがたは本当に知っているのか。何を知っていると言うのか。あなたたちは本当のことを知らない。あなたがたは、自分勝手に自分の都合の良いように信仰を理解している。だから、的外れな聖書の、読み方、聞き方をするのだ。わたしのことを正しく受け止めることができないのは、父なる神への信仰の欠如だと言われるのです。
主イエスのお言葉は人々のプライドを十分傷つけました。彼らは面子を潰されてイエスを捕らえようとしたのです。ただ、その時イエスに手をかける者はだれもいませんでした。聖書はその時の状況をイエスの時がまだ来ていなかったからと記しています。そうです、まだ十字架の時ではないのです。主は言われます。「わたしは自分勝手にきたのではない。」。イエスをお遣わしになった方は父なる神です。「あなたたちはそのお方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た。」。イエスをメシアと信じ、イエス・キリストを通して神を知るのでなければ真の神を知ることはできないのです。
(2012年2月19日礼拝説教より)