「ただ主に仕えよ」
更新日:2012.2.26
マタイによる福音書4章1-11節
牧師:榮 英彦
わたしたちは同じ言葉を使いつつ違った内容を捉えて生活を進めています。たとえば「信仰に生きる」と言った場合、それぞれが違ったことを受け止めています。その違いの中で「キリストに生きる」に思いを定めて歩んでいるのが『教会の歩み』であるといえましょう。イエス様の公生涯に入られる前の御生活も、神様の言葉に導かれると言う信仰によって総てが整えられると言うものでした。
神様の御手によって創造された人間は如何に生きるべきか。その歩みを整えるに際しての心構えとして大きな誘惑があることが告げられます。第一に「食物」に関してです。人間として大切なものではあるけれど、それが中心ではない!ことを明らかにされます。第二に「権力」を手にすることです。これに対しても、神様に造られた立場こそが重要であるとの姿勢を崩されません。第三に「自己主張」です。自分は優れた賜物を持ち何でも出来る力を有していることを誇示する在りかたです。そうです、神中心の生活形態から、見える・計れるものを基準とする分りやすいものへ変えてみよ!と迫られたのです。
まさに、聖書以外の価値観によってこの世の歩が進められている中に神様の御旨が為されようとする時です。イエス様は申命記6章に示され、その言葉によって歩まれて来た基本を示されます。あのルカ15章にある放蕩息子の話しにあるように人間の敗れた場合に帰る所は『神様の許』のみであることが示されています。
私達も帰るべき所は唯一であることを改めて確認し、誘惑多いこの世に於ける歩みを全うしよう。
(2012年2月26日礼拝説教より)