「羊の門」
更新日:2012.6.10
ヨハネによる福音書10章1-21節
牧師:米倉 美佐男
「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。」(7、8節)
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)
主イエスはご自身を「羊の門」、その次の所では「良い羊飼い」であると言われました。なぜ、そのように言われたのでしょう。それは主が「わたしはあなたがたを守ります。」との宣言なのです。門も羊飼いも羊を守ります。羊は誰かから守ってもらわないと、生きていけないのです。
守ってくれる羊飼いがいなければ羊は狼などのおそろしい猛獣に食べられてしまいます。恐い動物や、羊泥棒が来た時に、命をかけて守ってくれるのが良い羊飼いです。悪い羊飼いは自分の身が危険になると羊を置いて逃げてしまいます。残された羊は哀れです。イエス様はご自分のことを「良い羊飼いである」と言われました。羊のために命を捨てられるからです。十字架はそのことを示しています。また大切なことはここにいる羊だけでなく、この囲いの中にいないほかの羊も導かなくてはならないのです。
羊は自分を守ってくれる羊飼いの声を聞き分けることができます。わたしたちもわたしたちを守ってくださるイエス様の声だけを聞くことのできる者となりましょう。そのために聖書をよく読み、熱心にお祈りをし、礼拝を大切に献げて行きましょう。主イエスは私たちのためにご自身の命を捨ててくださいました。それによってわたしたちは愛と言うことを知ったのです。そしてわたしたちもまた、兄弟のために命を捨てるべきなのです。(1ヨハネ3・16)
主はまた、この囲いにいない他の羊も導かれる必要があることを語られました。そして一つの群れにするとも言われています。それは信じる者がみな主にあって一つになること、教会のあるべき姿をお示しになられたのです。
(2012年6月10日礼拝説教より)