「あなたの心を高くあげよ」
更新日:2012.11.19
詩編16編1-11節(旧P845)
呉平安教会牧師:小林 克哉
「わたしは絶えず主に相対しています。 主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。」(8節)
教会と言えば、日曜日の度毎に礼拝堂に集まり讃美歌を歌います。喜びや感謝に満ちる時も、悲しみや悩みに心覆われている時も、讃美歌を歌います。結婚の祝いで、葬りの涙の中で讃美歌を歌います。讃美歌が他の歌と違うところは、神さまに向かって歌うことです。
人は悩み悲しみの中で心沈み、不平やつぶやきが口から出てくることがしばしばあります。つぶやきは、自分の口から出ても行き場がないために再び自分へと戻って来て、どんどん大きなものになっていき、かえって心は沈むばかりです。ダビデも悩みや悲しみを知っていた人です。しかしダビデはつぶやきではなく、嘆きを知っていました。嘆きとは向かう先があるものです。その思いを聞き、その心を受け止めてくれる相手があるのです。ダビデは「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」(2節)と告白しています。ダビデは唯一真の幸いを知っていたのです。それは神さまを知っていたということです。私たちもイエス・キリストによって神さまを知りました。私たちの罪と死を背負い十字架で死なれ、三日目に復活されたお方によって神がどのようなお方なのかを知らされたのです。
日本人はどうすることもできない状況に置かれると、いわば絶望状態を「八方塞がり」と表現します。ユダヤ人は違う表現をしました。「天が閉ざされている」と言ったのです。逆に言えば、天が開かれているなら、たとえ何があろうと、どんな状況であろうと大丈夫だと言うことです。たとえ、前にも進めず、元にも戻れず、右にも左にもそれる道がなく心沈むしかない時にも、神を知る者は心を高くあげることができるのです。ダビデはそれを「神に相対する」と表現しました。「主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。」(8節)
私たちの悲しみも悩みも受け止めて下さる神がおられるのです。私たちの讃美と信頼を受けるべくお方がおられます。このお方が、わたしたちをしっかり支えていて下さるからこそ揺るがないのです。信仰を与えられるとはそういうことです。神を知る者には讃美があり祈りがあります
日曜日の度毎に礼拝堂に集まってしているのは、心を高く上げることです。喜びの日も悲しみの時も、私たちは神に向かって讃美をささげるのです。
(2012年11月11日礼拝説教より)