「神の子とされた」
更新日:2013.1.7
ガラテヤの信徒への手紙 4章1-7節
牧師:米倉 美佐男
「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(4-5節)
先週はクリスマス礼拝を献げ、翌日24日の晩はイブのキャンドルサービスを献げました。クリスマス礼拝では新たに一人の兄弟が悔い改めて洗礼を受け、この群れに加えられました。感謝です。大きな喜びが与えられました。教会のカレンダーは1月6日の公現日(エピファニー)までクリスマスは続きます。
読んで頂いた聖書の箇所はパウロの書簡の中で彼が降誕に言及する唯一の箇所です。ここで彼は私たちキリスト者が何者であるかを論じています。私たちはキリストに出会い、キリストに属することによって神の子とされた存在です。神は約束してくださったように信じる者をアブラハムの子孫として約束の相続人とされました。それがどのような仕方で実現したかを証するのです。「御子を女から、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」。
人間はみな律法の下では未成年です。半人前で後見人や管理人の監督の下で生きることしかできません。それはキリストが来られる以前の事でした。クリスマス以前のわれわれの現実です。さらに強く言われることは、キリストの到来以前の状態が、あるいはキリストを信じて生かされる以前の在り方や洗礼以前の生き方が、常に誘惑としてあるのです。パウロは珍しい言葉で表しています。世の支配する諸霊(ストイケイア)、キリスト以外の超自然的な力によってせっかく神の子として生まれ変わったのに、逆戻り、後戻りすることのないように、しっかりと主イエス・キリストにつながって生かされて歩みましょう。ハッピー ニュー イヤー。今年もよろしく。
(2012年12月30日礼拝説教より)