「わたしと父とは一つ」
更新日:2012.7.1
ヨハネによる福音書10章22-42節
牧師:米倉 美佐男
エルサレム神殿の境内を取り囲む回廊の一番東の方にソロモンの回廊がありました。ユダヤ人たちはそこでイエスを取り囲み、「お前はキリストか」と糾弾したのです。お前の存在が気に食わないから白黒をはっきりつけて欲しいと言います。イエスは前に良い羊飼いの話をされました。ご自分を良い羊飼い、羊の門と言われました。暗にユダヤ教の指導者を本物の羊飼いではない、雇われ羊飼いだと皮肉りました。ユダヤ教側からは赦しがたい発言です。けれども、イエスはもしかするとメシアかもしれないと思う人たちも出てきました。イエスは「わたしが言ったがあなたがたは信じない」、確かにすでに言ったことであるけれど、あなたがたは正しく聞こうとしなかった、と言われます。
言っても信じないし、見ても信じない。あなたがたが私の羊なら私の声を聞き分ける。それができないならわたしの羊ではない。わたしはわたしの羊に永遠の命を与える責任がある。わたしはわたしの羊を生かす。彼らは決して滅びない。「私と父とは一つである。」。ユダヤ人たちはこの言葉に反応し、イエスを石で殺そうとしました。
イエスは眞の神にして眞の人、それがここで問題にされています。命をかけた教会の信仰の戦いです。教会が教会となるために。「もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父のうちにいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」
敵対者たちはイエスを何とか亡きものにしようとします。彼らは神を冒涜したという罪で主イエスを断罪するのです。イエスは自分をメシアであるかどうか尋ねる前に、あなたがた自身が自らの不信仰をよく反省してみなさいと言われているのです。自らの信仰の無さを思わず、気づかず、自分の地位の保全だけを思うような信仰は神からのものではありません。主イエスのみ声に聞く者となり、父なる神と一つなるお方にのみ従う者でありましょう。わたしたちの主はご自分の羊をよく知っておられるお方です。そして信じるわたしたちに永遠の命をお与えくださいます。ヨハネが主イエスについて証をしたことはすべて本当であった、と多くの人がイエスを信じたのです。イエスをメシア、神の子と信じることのできる者は救われるのです。
(2012年7月1日礼拝説教より)