「互いに愛し合いなさい」
更新日:2013.1.21
ヨハネによる福音書15章11−17節(新P199)
牧師:米倉 美佐男
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(12節)
ここには「ぶどうの木の譬」の続きが記されています。主イエスは、私につながっていなさいと申されました。実を豊かに結びなさい、主の愛のうちにいなさいとも。結論的にいうなら、私の弟子として生きなさいと言う事です。11節に「これらの事を話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」と、言われます。
主イエスは今、愛する弟子たちを前にして、十字架の死を意識しながら最後の遺言を弟子たちに語ります。注目したいのは「喜び」です。主のご生涯の中でイエスが大きな声を出してお笑いになったという話は一度もありません。泣いたと、怒った、嘆いたということは出てきます。しかし、にもかかわらずイエス様ほど喜びの生涯を過ごされた方はいません。イエス様のご生涯は十字架の死という誰にも不条理と思える事を、すべて神の栄光のために、人の罪を救うために献げて下さったご一生でありました。嫌々でなく、死を積極的に喜んで受容してくださったのです。
そして言われます。「互いに愛し合いなさい」。その前提は「わたしがあなたがたを愛したように」です。それが主の与える掟です。互いに愛し合うとは、主に結ばれて生きることです。神にしっかりと繋がれた生活をすることです。別な言い方をすれば神との確かな関係の内に生かされるのです。聖書の別の言葉で言うなら、神によって義とされることです。人間的な同情心やヒューマニスティックなものとは違います。主イエスが私たちをもはや僕でなく友として、弟子たちを選ばれたように私たちを選んでくださった。そこに私たちに示された神の愛があるのです。私たちが出かけて行って実を結ぶために、伝道のために。
(2013年1月13日礼拝説教より)