「共におらせてください」
更新日:2013.3.11
ヨハネによる福音書17章20-26節(新P203)
牧師:米倉 美佐男
レントの第3週です。今朝の聖書箇所は「大祭司の祈り」と呼ばれる部分です。主イエスが生涯の最後に祈られた大事なお祈りです。「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」(20節)。主が祈られる祈りは弟子だけでなく、彼らによって伝道された、あらゆる時代の信者のために祈られた祈りです。21節以下の祈りの所は、内容的に2つのことが祈られています。信じるすべてのものが一つになるように、続く24節以下で共におらせてくださいと祈られます。
一つとなるという祈りは、最初一つであった教会がその後分裂して幾つもに分かれてしまったから元通りになるようにと言われているわけではありません。主が語られる一つの意味は形の上での一つではなく、もともと最初から一つであるのだということを示しておられるのです。既に与えられている事実として祈られています。わたしたちがひとつであるように(22節)、父なる神とキリストの一体性のように主を信じる者たちが一つであるようにと祈られたのです。内的、霊的一致です。キリストのうちに我がおり、我のうちにキリストがおられる、という一体性です。
父なる神がキリストを私たちに遣わされたこと、キリストを愛されたように私たちを愛されたことを世が知るのです。そしてキリストと同じように私たちも世に遣わされるのです。伝道することがその意味です。神を愛し、神に愛されることによってできることです。そのために、神によって与えられ完成される一致を知るのです。「わたしは御名を彼らに知らせました。」神とはいかなるお方であるかということを私たちに主は伝えたのです。もはや我生くるにあらず、キリスト我が内にあり、生くるも死ぬも我らは主のものであるのです。主と結ばれて一つとなる幸いのうちに生かされましょう。
(2013年3月3日礼拝説教より)