「血と水」
更新日:2013.5.7
ヨハネによる福音書19章31-37節(新P208)
牧師:米倉 美佐男
主イエスが十字架で息を引き取られた後、主は十字架から降ろされ、葬られました。今朝の記事は十字架の最後の場面ですがヨハネ独自の記事です。ここには二つのことが記されていて、一つは十字架刑ではそう簡単に死に至らないので、埋葬を急ぐ時は、足を折って死期をはやめたのです。ただ、この時主イエスはすでに死んでいたので足は折られませんでした。今一つは兵士が槍で主のわき腹を突くと血と水が流れ出たことです。
主イエスはユダヤ人です。ユダヤでは「人が死にあたる罪を犯して殺され、木に掛けられた時には翌朝までその死体を木に留めておいてはならず、必ずその日のうちに埋葬しなければならない」(申21・22)と定められており、さらにこの時は特別な安息日の準備の日であったと書かれています。安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って主を取り下ろすようにピラトに願い出たのです。主が足を折られなかったのは先に述べたようにすでに死んでおられたからでした。しかし念のためにイエスの脇腹を兵士の一人が槍で刺しました。すると腹から血と水が流れ出ました。
血と水が流れ出たという証言の意味することも聖書の約束の言葉の実現、み言葉の成就なのです。実に深い神のみ旨がここにあり、主イエスはまことに我らの贖いのために、犠牲の神の小羊として十字架で亡くなられた。世の罪を取り除く神の小羊として。十字架に流された主の血潮は我らの罪の贖いのため、水はこの福音書にたびたび語られた、生ける命の水です。飲んでも乾くことのない、その腹から生ける水が川となって流れ出る水です。それは聖霊を意味しています。肉体は死んだが、すべてが終わったところから、確かな救いが始まったのです。主イエスの体から出た血と水は信じる者を生かす信仰の命の源です。そして聖霊の清めが与えられたとのメッセージであるのです。
(2013年4月28日礼拝説教より)