「聖霊を受けなさい」
更新日:2013.6.3
ヨハネによる福音書20章19-23節(新P210)
牧師:米倉 美佐男
週の初めの日、日曜日に復活の主イエス・キリストがマグダラのマリアに現れたのは朝でした。その同じ日の夕方に弟子たちにも復活の主は現れたのです。この時、弟子たちはユダヤ人を恐れて、戸に鍵をかけて閉じこもっていました。彼らはユダヤ人を恐れ、心細さと絶望感でいっぱいでした。そこに主イエスが入ってこられたのです。そして、弟子たちの真ん中に立って、「平和(エイレーネ)があるように」と言われたのです。そう言って手と脇腹とをお見せになりました。それは、弟子たちの前に現れたイエスは間違いなく、復活の主であったという証です。
弟子たちは、主を見て喜びました。イエスを主と呼んでいるのはヨハネではここが初めてです。弟子たちには復活の主を再び見ることができたという喜びが溢れています。喜びに続いてもう一度「平和があるように」と言われました。「平和」はシャロームですが、日常の挨拶の言葉です。しかし、ここでは挨拶以上の重みを持って、これから特別なことを語ろうとする時に使われたのです。それは、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」という、主の派遣宣言でありました。
ここに伝道の基本的な姿勢が示されます。メシア的な喜びと平和を与えられて世に遣わされて行くのです。主が遣わしてくださるのです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(16・33)。主の日、週の初めの日、日曜日ごとに集まって礼拝しているのは、鍵をかけて閉じこもっているためではないのです。礼拝は伝道のスタートです。主イエスから息を吹きかけられ、「聖霊を受けよ」と言われたのは教会です。ペンテコステの出来事がここにも語られているのです。聖霊は私たちに信仰を与え導く神の力です。教会は聖霊によって伝道を開始したのです。
(2013年5月26日礼拝説教より)