「神の安息にあずかる」
更新日:2013.9.2
ヘブライ人への手紙4章1-13節(新P404)
牧師:米倉 美佐男
「神の御前では隠された被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。」(4章13節)
今朝の聖書箇所には何度も「安息」という言葉が出てきます。その内1回は「安息日」という言葉です。著者はせっかく安息が与えられているのに何故、自らの不信仰でその安息を失ってしまうのか。そうしてはならないという強い警告が語られています。安息からもれないように気をつけなさい。神の「安息」に入る約束はまだ完成していないのだと。だから、カナンを目指しながら不信仰のため荒野で死んだイスラエルの先祖のようになってはならないと。
せっかく福音をきいたのに信仰がなくて役にたたなかったとならないために正しい信仰が必要なのです。何を信じるかが大切です。天地創造の神、そして遣わされた主イエスを信じることだけが安息を与えてくれるのです。神の「安息」に入るよう招かれているのは、信仰をもって救いのメッセージを受け入れた人々です。わたしの安息、神の安息とは文字通り、天地創造7日目にすべてのわざを終えて休まれたことです。それは創造の完成であり終わりでした。それを受け継いだキリスト教会の安息は救いの始まりの日となりました。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心かたくなにしてはならない」。主の日の礼拝、新しい神の民、教会に与えられている安息は「安息日の休み」です。あるいは「安息日遵守」のことです。安息日を守ることは神ご自身の安息に私たちも積極的に与かることなのです。自らの業を解き放ち、神が休まれたように、神とみずからのために自分たちの業を休み、主を礼拝するのです。焦らず、しっかりと主イエスと共に歩む生活を送るのです。荒野のイスラエルの悪しき行いにならわず、不従順によって与えられた救いからもれないように、神の安息にあずかりましょう。
(2013年8月25日礼拝説教より)