札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「大祭司キリスト」

更新日:2013.9.17

ヘブライ人への手紙5章1-10節(新P405)

牧師:米倉 美佐男

「永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。」(5章9−10節)
イスラエルにおける大祭司は祭司の中でも責任的な立場にあります。神に献げ物と罪のための犠牲、いけにえを献げることが仕事です。その働きが最初の1節から4節までに記されています。この職務に就く者は人であり、自らの弱さを知っている者でした。今一つの条件は神の召しを受けた者である事でした。

御子イエスは大祭司の務めを自分の思いで引き受けたのではなく、父なる神が認めたので大祭司の職に就かれたのです。「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ。」(詩編2・7)。そして「あなたこそ永遠に、メルキゼデク(義の王)と同じような祭司である。」。メルキゼデクは創世記14・18に登場します。サレムの王で祭司です。アブラハムは彼から祝福を受けました。後にエルサレムがダビデによって彼の町となった時、ダビデはメルキゼデクの王位と祭司職を継承したのです。ダビデ家に約束された王は、同時にメルキゼデクに等しい永遠の大祭司、それがイエス・キリストです。

主イエスは人と同じ姿になられ、人の負っている弱さや、悲しみ、苦しみをすべて受け止め、同情し、贖ってくださる大祭司です。十字架以前には涙の祈りを以て父なる神に訴え、その祈りを父なる神はお聞きくださいました。御子は神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執せず、私たちと同じ人の姿になられたのです。常に神に従順で、しかも私たちのために激しい叫び声を上げながら祈られました。私たちの救いは御子の血と涙の結晶です。キリストの熱き祈りに支えられているはずの私たちが、それなのにどうして目の前に困難があるからと言って、このお方から離れようとするのか。離れてはならない、私たちを救う大祭司イエスがここにおられるのですから。

(2013年9月8日礼拝説教より)

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