「義の言葉を理解するために」
更新日:2013.9.24
ヘブライ人への手紙5章11-14節(新P406)
牧師:米倉 美佐男
「固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。」(5章11−14節)
札幌教会は今年創立124年になりました。この礼拝堂も築109年です。今朝は永眠者記念礼拝です。信仰を持って主の御許に召された先輩達を覚えて主に礼拝を献げます。私たちの信仰は復活信仰です。永遠に眠る信仰ではありません。午後は平岸の教会墓地で祈祷会を致します。2組の納骨も予定しています。
お読みした聖書には「このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易には説明できません。」(11節)。「義の言葉を理解できません。」(13節)と記されています。信仰が未熟、弱いことをずばり指摘しています。著者は手紙を読む人々、聞く人々に主イエス・キリストを信じる信仰から離れてはならないと言うのです。どのような困難な状況に置かれても、主イエスが救い主であることを忘れてはならないと。ユダヤ人たちに馴染みやすい表現でイエス様は「大祭司」、しかもメルキゼデクと同じだと。
あなたがたは未熟で聞く耳を持っていない、信じる力が弱い、ミルクばかり飲んでいる幼子のようだと。あなたがたはもう十分な大人なのだから、いつまでも離乳食ばかり食べていないで、もっとしっかりした成人食を取りなさい、というのです。相当厳しい言い方です。あなたがたは幼稚性から脱却し、「善悪を見分ける感覚を身に着け」、一人前の大人になりなさいと。それは、自分本位を捨てて、目先の事だけで動かないように。自己本位のためにせっかく得た信仰を放棄することのないように勧告するのです。今朝覚えた先達も主イエスを信じて主の御許に帰られました。私たちもその信仰を継承しているのです。神の言葉の初歩に甘んじないで信仰を継承し、伝道に励みましょう。
神の義の言葉、それは頭で理解する十字架でなく、キリストが身を以て示してくださった贖いです。私たちも信仰の先輩たちのように、どのような状況の中でも主を証する群れの一員として、神の家族として、彼らの歩んだ道を受け継いで行くのです。約束された救いの確かさがあるのですから。
(2013年9月15日礼拝説教より)