「確かな約束」
更新日:2013.10.7
ヘブライ人への手紙6章13-20節(新P407)
牧師:米倉 美佐男
「こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。」(6章20節)
アブラハムは旧約聖書創世記に出てくる族長です。イスラエルだけでなく、キリスト教、イスラム教世界でも信仰の父として尊敬されている人です。彼について語るのは今更とも思いますが著者にとってはアブラハムの重要性を語らずにおれないのです。それは神の約束に対するアブラハムの信仰の故です。それだけでなくメルキゼデクとの深い関係もあるからです。有名な話しですがアブラハムは神のご命令で愛する子イサクを祭壇に献げた後に神の特別な祝福と約束を与えられ、子孫繁栄と大いなる国民の父とされました。
我が子イサクを献げた後、神はアブラハムに与えた約束を誓いをもって確証されました。神はご自身より優れたものを指して誓うことはあり得ませんから、ご自身に誓われたのです。約束が確かであることをお示しになられました。この手紙が書かれた時代の信仰者も、今の時代に生きる私たちも荒波に揉まれ、大波に呑み込まれ難破しそうになっています。そして危険を回避しようと悪戦苦闘しています。そのような状況の中で持つことのできる望みは、神の約束に信頼することです。
それは頼りになる安定した錨のようなものです。錨はしっかりと主イエスに繋がれているのです。アブラハムは神の約束と誓いに望みを置きました。私たちは主イエス・キリストに望みを置きます。その望みこそが安定した錨です。主イエス・キリストご自身が民の先駆者として導いていてくださいます。これ以上の励ましはありません。民の先駆者として、そして、民が神の住居に入るための保証人となってくださいます。「約束されたものを受け継ぐ人々」となり礼拝者として希望をしっかり持ち続けて生きましょう。
(2013年9月29日礼拝説教より)