「世が救われるため」
更新日:2014.1.6
ヨハネによる福音書3章16-21節(新P167)
牧師:米倉 美佐男
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが。一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(1節)
2013年最後の主の日の礼拝です。次週5日は2014年の新年礼拝です。今年の歩みを振り返りながら私たちも新年に向けての備えをしたいと思います。
世の中はクリスマスシーズンから正月へと準備を変えましたが、教会ではまだ6日のエピファニー(公現日)まではクリスマスシーズンが続きます。クリスマスの喜びは、神がその独り子を世に遣わされたことにあります。神の言、ロゴスが肉体を取られ、人となった。御子は、神と等しくあることに固執しようとはされず、人間と同じ者になってくださった。主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは神の御子が人間となられたと告白しているのです。
今朝の聖書が示しているのは神の愛です。ここに示される愛は感傷的なものではなく、クリスマスの出来事そのものです。私たちを救うために御子キリスト・イエスが与えられました。それは私たちの罪の贖いのためでありました。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救いだそうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」(ガラテヤ1・4)。ですから主イエスのお誕生は十字架へと向かう誕生であったのです。それはかけがえのない神からのプレゼントです。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」(テモテ一 1・15)のです。そしてその目的は「独り子を信じる者が一人も滅びないためなのです。私たちが救われるために必要なことがあります。それは御子を信じることです。独り子を信じる者が滅びないで救われるのです。
(2013年12月29日礼拝説教より)