「イエス・キリストは主である」
更新日:2014.1.6
フィリピの信徒への手紙2章6-11節(新P363)
牧師:米倉 美佐男
「すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのである。」(11節)
主イエス・キリストのご降誕を心からお祝い致します。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1・9)。クリスマスの喜びがここにあります。まことの光である主イエスを伝えるために私たちは招かれています。しかし、主の出来事が明らかになった時でさえ、私たちは主のために充分な場を用意しませんでした。
私たちの不備にもかかわらず父なる神は愛する独り子を世に遣わしてくださいました。ふさわしい場は主の側が備えて下さったのです。備えを怠った者のために、神がふさわしい場を設けて下さいました。そこに真実の喜びがあるのです。私たちの信仰は「イエス・キリスト」に言い尽くされます。イエスがキリストです。イエスこそが主です。
イエスこそ唯一無二の救い主です。その告白に命をかけるのです。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず。」と讃美、告白するのです。主イエスの誕生から十字架の死、復活、昇天、そのご生涯すべてが神であったと告白するのです。
主イエスは人としてお生まれになられた神の御子です。真の神が真の人になられたという信仰の一番大事な事がクリスマスの栄光の出来事です。若き預言者としてナザレで育ち、地上での行き着くところは十字架の死でありました。そして約束通り復活されたのです。それは神だけができることです。クリスマスのメッセージのもう一つの大切な点はキリストの謙遜です。主は自らのためではなく他者のためにその尊い命を献げて下さいました。これ以上大きな愛はありません。キリストに出会い、救われた事を信じる事ができた時、本当の意味で神を神として礼拝することができるのです。「イエス・キリストは主である。」。-
(2013年12月22日礼拝説教より)