「罪と罰」
更新日:2014.6.2
ローマの信徒への手紙6章23節(新P282)
牧師:米倉 美佐男
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」 (23節)
ハイデルベルク信仰問答 第四聖日、問九〜十一を読みましょう。聖書は私たちに語ります。すべてのものは神の創造の業であると。神が人間をお造りになられたのです。しかし、人間は神に背き、せっかく神が敷いて下さったレールから外れてしまったのです。それが罪です。人間は自らの力では元のレールに戻ることはできません。自力で軌道修正することはできないのです。
私たちは自分のみじめさを素直に認めません。自らの罪を認めて悔いたでしょうか、そうではないのです。
問九 神が、その律法において、人間に対して、人間にできないことを、要求されることは、人間に対して、神が、不正を行っていることになるのではありませんか。
答えはそうではないと言います。神は人間をそれができるようにお造りくださったにもかかわらず、悪魔にそそのかされて、身勝手な不従順さで、与えて頂いた賜物を捨て、自分の責任を回避し、神のせいにし、抗議するのです。悪いのは神でしょうか、否、人間です。
問十 神は、このような不従順と背反とを、罰しないでおかれるつもりでしょうか。
答は罰せられるです。続けて次の問がなされます。
問十一 神は、憐みふかいお方でもあるのではないのですか。
そうです。たしかに神は憐みふかいお方です。神は正しいお方ですから、何ものよりも高き尊厳に対して犯された罪に対しても、最高の、永遠な罰をもって、身と魂とを罰するのです。それは十字架という究極の形で、愛する独り子を十字架におかけになることによって、裁きを示され、私たちが負うべき罰を負って下さったのです。ここに神の真の憐れみがあるのです。十字架の愛が人を救うのです。
(2014年5月25日礼拝説教より)