「心を新たにして」
更新日:2014.9.22
ローマの信徒への手紙12章1-2節(新P291)
長老:渡部 満(鎌倉雪ノ下教会
・教文館取締役社長)
使徒パウロは神の憐れみのみ業について、心を込め、言葉を尽くして語った後に、私たちに語りかけ、勧めます。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」。これは、すでにイエス・キリストの十字架と復活のみ業において起こった、私たちの支配関係の転換を確認する、感謝の行為です。
私たちは罪と肉の支配の下にあるのではなく、キリストのものとされたのです。
この支配は、単に個々人の出来事であるばかりでなく、私たちの社会的存在を含むものです。
教会を形成する行為でもあり、まさに「礼拝」として位置づけられるものです。
使徒は、「この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と続けます。
「倣う」とは、形に合わせるということです。「この世」は過ぎ去るものです。
キリスト者は、キリストの形に合わせて変えていただくのです。これは、私たちの業ではなく神の働きによるものです。
また、「心を新たにして」「何が神の御心であるか」をわきまえるようになるのです。「わきまえる」とは、実験するという意味です。私たちは、神の御心を単に知っているだけではなく、行うことが求められます。
しかし、私たち自身を振り返る時、神のご支配よりも自分の支配を、心が新たにされるよりも、世の常識や慣習に流されてしまう己の姿を見つけざるを得ません。私たちは、神の問いの前に立ち続け、神に求めることが許されています。
何が神の御心なのか、何が善いことであり、神に喜ばれることなのか、また、どうか、私たちの心を新しくして下さい、と。
教会の125年の歴史を振り返る時は、これからどのように歩むのか、展望を拓く時です。今日の危機的な状況の中で、私たちは、今こそ神に問われていることを知り、神に求め、問うのです。
何があなたの御心であるのか、と。そして私たちの献身の志を新しくしたいと願います。
(2014年9月14日創立記念特別伝道礼拝説教より)