「復活」
更新日:2014.10.14
コリントの信徒への手紙一 15章20−21節(新P321)
牧師:米倉 美佐男
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。」 (20−21節)
ハイデルベルク信仰問答 第一七聖日 問四五〜四八
問四五 キリストの復活は、われわれに、どのような益を、もたらすのですか。
答 第一に、主は、その復活によって、死に勝ち、ご自分の死によって、われわれのために、得て下さった義に、あずからせて下さるのであります。
第二に、われわれもまた、今は、そのみ力のゆえに、新しい生命に、よびさまされるのであります。
第三に、われわれにとっては、キリストの復活は、われわれ自身の祝福せられた復活の、確かな保証となるのであります。
問四六 天に昇られた、というのは、どう理解しますか。
答 キリストが、弟子たちの目の前で、天にお昇りになり、生ける者と死ねる者とをさばくために、再び来られる時まで、われわれの益のために、そこにおいでになる、ということであります。
問四七 それならば、キリストは、お約束になったように、世の終りまで、われわれとともに、おられるのではないのですか。
答 キリストは、真の人間であり、また、真の神であります。その人間性によれば、主は、今は、この地上には、おられません。しかしその神性、尊厳、恩恵、み霊においては、決して、われわれを、離れられることはありません。
問四八 しかし、人性が、神性のあるところにはどこにでも、あるのでなければ、キリストのうちの両性は、分かたれるのではありませんか。
答 決して、そうではありません。なぜならば、神性は、捕えられるものではなく、到るところに、あり得るのであります。その結果、それがとった人性の外にもあり得るし、しかもなお、やはり、その人性の中にもあり、いつもこれと、人格的に結合する、ということになるのであります。
主イエス・キリストの復活は十字架と共にキリスト教信仰の本質です。この問答は僅か一問のみ復活について当てています。復活については当然の前提としているのです。議論をするより、そのことの意味性を強く言うのです。「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ロマ書4・25)
(2014年10月5日礼拝説教より)