「唯一の献げ物」
更新日:2014.2.3
ヘブライ人への手紙10章1-18節(新P412)
牧師:米倉 美佐男
「なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。」 (10章14節)
律法には実体がありません。そして、律法は人を完全な者にすることはできません。年ごとに献げられるいけにえによっては罪の記憶がよみがえるだけです。私たちは、ただ一度キリストの体が献げられたことによって聖なる者とされたのです。キリストは唯一のいけにえ(ゼバ—)、献げもの(ミンハ−・穀物)です。キリストによってもはや罪を贖うための供え物は必要無くなったのです。
へブル人への手紙の著者は、その時代の信仰者への励ましとして、キリストのもとへ立ち返る事、信仰者として生かされ続ける事を願ってこの書を書いています。私たちが求めるべきことは、礼拝者として生かされる喜び、感謝の心を回復することです。そのために主イエス・キリストを信じた最初を忘れてはなりません。「律法は実体ではない」(1節)と書かれています。実体とはイエス・キリストのことです。完全に守り通すことのできもしない律法にしがみつかずに、キリストを信じて歩み続けることが大事です。
「やがて来る良いこと」とはキリストの犠牲、十字架を、示しています。キリスト以外に人を救うことのできるお方はおられないのです。キリストは大祭司として、神の救いを行使され、人の罪を取り除き、十字架の血によって清めてくださいました。人間の罪は動物の犠牲の血では清まらないのです。5節以下は詩編40・7−9からの引用です。主の十字架の意味が語られます。十字架はまさに神の御心です。それが私たちを救う唯一のもので、ただ一度限りのものです。主の十字架は動物の犠牲はもはや必要がなく廃止されたことを宣言します。キリストの完全性によってすべてが整えられたのです。主は神の右の座に着き、私たちを待っていてくださるのです。
(2014年1月26日礼拝説教より)