札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「自分をよく確かめた上で」

更新日:2015.3.16

コリントの信徒への手紙一 11章28-29節(新P315)

牧師:米倉 美佐男

「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」(28−29節)

ハイデルベルク信仰問答 第三0聖日 問八0〜問八二

問八0 主の聖餐と、教皇のミサとの、ちがいは、どこにありますか。
問八一 どういう人が、主の聖餐に、来るのでしょうか。
問八二 信仰告白と生活において、不信者、神なき者であることを示している者も、この聖餐に、近づくことが許されるべきでしょうか。

問八0の答は主の十字架はただ一度限りの事で、主の犠
牲によって人の罪が贖われ、聖霊によってキリストと一体
化されるのです。カトリックミサはそれを司祭がささげたものでなければ罪はゆるされないと言います。しかも変化したパンとぶどう酒によるというのです。それはキリストの唯一の犠牲と苦難の否定にほかなりません。問八一の答は自己の罪の故に自己を嫌いながら、罪のゆるされることを信じ、その生活を、改めたいと切望している者たちであるといいます。悔い改めざる者や偽善者は、その飲み食いによって、裁きを招くのです。問八二は相応しくない者はこれにあずかることはできません。キリストの恵みが信ずる私たちに、保証されるのが聖餐です。

洗礼と聖餐は教会が大切にしてきた聖礼典です。大切な
ものですが、その受け止め方については違いがあり、聖餐
理解を巡って激しい争いが起こるほどの議論がなされました。対カトリックだけでなく、プロテスタント相互においてもです。ハイデルベルクの問答が書かれるに至った動機にもなっています。この問答の初版には問八0はありませんでした。当時のローマ・カトリックの在り方に対してどうしても書く必要があったのです。

(2015年3月8日礼拝説教より)

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