「生ける神の神殿」
更新日:2015.5.18
コリントの信徒への手紙二6章16節 (新P332)
牧師 米倉 美佐男
「するとイエスは言われた。「退けサタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」」(10節)
ハイデルベルク信仰問答 第三五聖日 問九六〜問九八
問九六 第二戒において、神は、何を、お望みになるのですか。
問九七 それならば、ひとは、どのような画像をも、造ってはならないのですか。
問九八 しかし、画像は、平信徒のための書物として、教会の中で、許されているのではありませんか。
問九六の答は、どのような方法と仕方によっても、神を模写したり、神が、みことばにおいて、お命じになった仕方のほかには、神を、拝んではならない、ということです。問九七の答は、神は、模写することもできなければ、してもならないと言います。被造物は、模写しても、差支えありません。ただ、それを崇めたり、拝むために、被造物の模造を造ることはしてはならないのです。問九八の答は、神は、キリスト教信仰を、ものいわぬ偶像によってではなく、みことばの活ける説教によって、教えることを、望んでおられるから許されないと言うのです。
第二戒は「あなたはいかなる像も作ってはならない。」、
偶像禁止の教えです。像を造ってはならない。拝んではな
らない。この二つの事の禁止が書かれています。父なる神
と主イエス以外は礼拝してはならないというご命令です。
今日の箇所が示すのは模写がいけないのは、人間の思い
や観念を神としてはならないということです。大事な事は
主を信じる心です。主の御言葉に従うことです。この箇所
も当時のカトリック教会に対する強い批判です。宗教改革
の時代になると各国の言葉で聖書が訳され自由に読むことができるようになりました。聖書は特定の人々の独占物ではなくなりました。主イエスが来られた以上、真の神の姿が現れたのですべての像を否定したのです。画像を見ることから信仰は起こりません。信仰は聞くこと、神の言葉を聞くことから起こるのです。心を素直にして御言葉を聞き、主を拝み、ただ主に仕える生ける神の神殿となるのです。
(2015年5月10日礼拝説教より)