札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「一切誓うな」

更新日:2015.5.25

マタイによる福音書5章33-37節 (新P8)

牧師 米倉 美佐男

「一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。」 (34節)

ハイデルベルク信仰問答   第三六日 問九九〜問一00
問九九 第三戒は、何を、求めているのですか。
答 われわれは、ただ、呪いと偽誓をもってだけではなく、不必要な誓いをもって、神のみ名を、汚したり、乱用してはならないし、また、黙認したり傍観して、このようなおそろしい罪に、参加してはならないのであります。
要するに、われわれは、神が、われわれによって、正しく、認められ、よばれ、われわれのことばとわざとをつくして、たたえられるために、畏れと恭しさをもってするほか、神の聖きみ名を、用いてはならないのであります。
問一00 それならば、誓いと呪いとをもって神のみ名を汚すということは、非常に大きな罪であって、全力をあげて、これを防ぎ、禁じようとしないものに対しては、神が、お怒りになるほどなのですか。
答 たしかに、その通りであります。神のみ名を汚すということよりも、大きな、また、神が、これほどお怒りになる、罪はないのであります。それゆえに、神は、この罪を、死をもって罰するように、お命じになりました。

第三戒 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないではおかないであろう。(出20・7)。主の名をみだりに唱えてはならないは、むやみやたらにという意味だけでなく、呪いと偽誓をもって、不必要な誓いをもって、神のみ名を汚し、乱用する、黙認したり、傍観したりすることです。神が、私たちによって、正しく認められ、呼ばれ、ことばとわざをつくしてみ名をたたえ、畏れと恭しさを持って神の聖きみ名を用いるのです。

第三戒は自分のために、自分中心な目的のため、功利的に
神の名を用いることを死罪に値する最も恐ろしい罪として厳しく戒めています。正しく神を礼拝することが大事なのであって、神ならぬものを神と崇め、神の名をけがしてはならないのです。主イエス・キリストを信じ告白することが第三戒を受け継ぐのです。

(2015年5月17日礼拝説教より)

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