札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「信じられない喜び」

更新日:2015.4.27

ルカによる福音書24章36-43節(新P161)

桑 渚牧師

イエス様を慕い、その働きを助け、家族や家を捨ててまで従ってきた弟子たちが迎えたイエスさまとの別れは悲惨なものでした。ある夜、ユダヤの指導者たちに捕えられ、ローマ帝国の反逆者として罪人として裁判にかけられ、その日のうちに十字架の上で殺されてしまったのです。ありえないことでした。ありえないことであるにもかかわらず、愛するイエス様の命は奪われてしまったのです。そのことはエルサレム中のニュースになっていました。

24章13節から二人の弟子がエマオに向かっている間に起こった不思議な出来事が書かれています。イエス様が道中一緒に歩いて語りあっていたのにも関わらず、二人の弟子達はイエス様だと気づかず本人の目の前でイエス様の話をしていたのです。宿に着き、イエス様がパンをとり、賛美の祈りをし、パンを割いて弟子たちに渡された時、二人の弟子たちの目が開けてイエス様だと分かりましたが、すぐに見えなくなりました。二人の弟子達は急いでイスラエルにいる弟子たちのところに帰って、起こった出来事を伝えました。突然その人達の真ん中にイエス様が立って現われて言われたのです「あなたがたに平和があるように。」

その時の弟子達の心境は計り知れない驚きでした。イエス様は確かに十字架の上で死んだ、それは事実だったのですから。自分達は裏切って逃げてしまった。彼らの心の中に後悔と悲しみ嘆きがありました。聖書は弟子たちの状況を「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」と包み隠さず伝えています。亡霊ではない、確かに私はいる、そしてあなたがたを決して恨んではいない、愛している、と言葉と存在を通してイエス様は語られます。そして聖書について説明し、彼らの心の目を開いて、悟らせるのです。「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」
この言葉は本当です。今まで出会った最も大きな悲しみ喜びを超えて、主はもっともっと大きな喜びを用意してくださいます。それは主に出会う喜び、救いを知る喜びです。

(2015年4月19日礼拝説教より)

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