「一つとならんために」
更新日:2015.5.7
エフェソの信徒への手紙4章3節(1-6)(新P356)
牧師 米倉 美佐男
「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」(3節)
パウロは自らを囚人と呼んでいます。主に結ばれて囚人
となった、別の箇所ではキリスト・イエスの囚人とも言っ
ています。これから語ることはすべて主にある囚人として
語るのです。主に捕えられた者としてという意味です。主
イエス以外には服従しないとの宣言でした。続いて教会が
何であるか、主イエスに従う者はどのような生活をすべき
かについて具体的に語ります。
教会は神の栄光を帰する場です。そのために招かれた者
たちがどのようにキリストにあって全きものとせられるかを問うのです。「招きにふさわしく歩む」、召された召しにふさわしく生きるのです。神に招かれた存在、召された者は「一切高ぶることなく」、「柔和」、「寛容」、「愛をもって忍耐」、「平和のきずなで結ばれ」、「霊の一致」が求められているのです。
キリストの十字架のお姿に父なる神の謙虚さを見るのです。そこに示された愛を感じた者はみ父とみ子にへりくだざるを得ません。主の十字架によって私たちは本来の姿に立ち返ることができます。平和のきずなで結ばれ、神による平安によって一つとなるのです。教会はひとつとなることが求められています。人間の力ではなく神の力、主イエス・キリストの御力、聖霊の力によって一致を求めるのです。からだはひとつ、聖霊はひとつ、主はひとつ、信仰はひとつです。からだの一致、教会の一致は同じ聖霊の導きによって実現するのです。主イエス・キリストが唯一の神であり、人であって、まことの救い主です。主を信じて歩むことの中に一つとならんためにとの祈りが全うされます。
(2015年4月26日礼拝説教より)