「人を恐れず、神を恐れよ(マタイ㊺)」
更新日:2025.2.17
マタイによる福音書 第10章26-33節
小林克哉牧師
神を信じ、イエスさまに従い伝道するとき、人々から憎まれ迫害されることがあるかもしれないと言われます。〝恐れ〟の問題を避けて通れないのです。イエスさまはわたしたちが人々を恐れているとき、人々より大いなる方、力ある方、確かなる方、天の父を忘れているのでないかと言われるのです。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(28節)
イエスさまはわたしたちを怖がらせ、地獄に落とすことができる神をこそ恐れよと、恐怖によって従わせようとしているのではないでしょう。大変強い言い方をされるのは、わたしたちが恐れている人間、更には状況や環境、この世よりもっと大いなるお方、もっと力あるお方、はるかにまさるお方があなたの父であると言われるためです。
イエスさまは言われます。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(29-31節)
神は全知全能だから知っておられるというだけでなく、イエスさまは「数えられている」と言われます。髪の毛を取り、一本、二本と数える。それはそれほどにその人に対して関心があり、心をかけ、愛しておられるということではないでしょうか。そのお方があなたの父である神、あなたの味方でいてくださるのです。
先週の葬りの際、召された兄弟が記された文章を読みました。父と母から伝えられた信仰を、次にわが子たち、孫たちに伝えなければと記しておられました。嘘偽りのない思いなのだと思いました。人々を恐れず、神をこそ愛し畏れるようになってほしいのです。たとえ家族に対してでも伝道の歩みには〝恐れ〟は避けられないかもしれません。しかし、あなたの髪の毛の数さえ数えていてくださる神がおられるのです。アーメン
(2025年2月9日礼拝説教より)