「主が使徒として選ばれる者(マタイ㊷)」
更新日:2025.1.20
マタイによる福音書 第10章1-4節
小林克哉牧師
「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。」(1節)二千年前、ガリラヤ湖の畔で始まった主の召しは、今も続いています。わたしたちも汚れた霊を追い出し、人々が主によっていやされるために遣わされるのです。
聖書は、わたしたちが生きているこの世界には、汚れた霊、悪しき力が働いていると言います(オカルト的なものを考えるとわからなくなるでしょう)。汚れた霊、悪霊の働きがあるのです。霊ですから目には見えませんが、確かに人間に働きかけ、人間を動かし、人間を支配しようとしているものです。神から人間を遠ざけ、神の御心から離れさせる力です。一人一人の人生においても起こることです。憎しみ、恨み、不安や恐れ、そして虚無感が外からやって来て、その人を支配していくのです。
先日、ある兄弟を入所施設に訪問しました。「わざわざ牧師先生がわたしのような者のために来てくださるなんて。」イエスさまは、飼い主のない羊のように弱り果て、打ちひしがれているその姿をご覧になってどう思われるでしょう。深く憐れみ、いやそうとされないことがあるでしょうか。
その部屋で小さな礼拝がささげられました。賛美をささげ、祈りを合わせ、御言葉に聞きました。涙を流して聖餐にあずかる姿を見て、イエスさまが働いておられると思いました。胸を叩きながら「元気が出ました」と言われました。顔つきが明るくなり、穏やかに変わっていました。確かに主はこの人をいやされたと思いました。
二千年前、ガリラヤ湖の畔で始まった主の召しは、今も続いているのです。今もイエス・キリストは生きて働いておられます。弟子たちを呼び寄せ遣わされます。人々が汚れた霊の支配から解放され、罪赦されている救いの喜びに満たされ、いやされ神に愛されている人間へと回復するためにです。「神はあなたを愛し、十字架によりその罪を赦し、あなたと共におられます。」アーメン
(2025年1月12日礼拝説教より)