「罪赦され起き上がり歩き出す(マタイ㉟)」
更新日:2024.11.11
マタイによる福音書 第9章1-8節
小林克哉牧師
「人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。」(2節)人は自分の力で立ち上がることができなくなることがあると言うのです。しかし主イエス・キリストのもとに連れて行ってくれる人が現れ、イエス・キリストの御声を聞き、イエス・キリストの権威が示されるのです。
「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」(2節)。「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」(6節)。自分の力で立ち上がることができなかった者が、罪赦されて起き上がり歩き出すのです。それが、主イエス・キリストが今も御自身の教会を通して行っている御業なのです。
イエスさまのもとに連れて来られた中風の人は、病のいやしを求めてやって来たのでしょう。ところがイエスさまはこの人の病をいやされる前に、罪の赦しを宣言されました。人は教会に何を求めてやって来るのでしょうか。人が求めているものをはるかに超える救いが待っているのです。イエス・キリストと出会い、神を信じ、十字架による罪の赦しを与えられ、復活の命に生かされ、起き上がり歩き出すことになるからです。
イエスさまは病をいやすのでなく罪を赦されました。その後、中風もいやされますが、何よりも罪の赦しを宣言されたのです。それはイエスさまがこの人に本当に必要なものが何であるかを知っておられたからです。人間が願い求めるよりも前に、父なる神はわたしたちに本当に必要なものが何であるかを知っておられるのです。だから父なる神は、わたしたちのために御子イエス・キリストをお遣わしになられたのです。
イエスさまが罪の赦しを宣言されるとは、罪なき神の御子イエスさまが、わたしたちの身代わりになって十字架で死なれるご決意なしにあり得ないことなのです。イエスさまの十字架がわたしたちを罪の縄目から解き放ち、立ち上がり歩き出す自由を与えることができるのです。イエスさまはわたしたちを愛し、十字架で死なれるご決意をもって、「あなたの罪は赦される」と宣言してくださるのです。アーメン
(2024年11月3日礼拝説教より)