札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「狭い門から入りなさい(マタイ㉖)」

更新日:2024.8.26

マタイによる福音書 第7章7-12節

小林克哉牧師

イエスさまは言われます。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(13-14節)
狭き門というと受験戦争や文学作品(ジッド『狭き門』)を考える人があるかもしれません。ここで言われる「狭い門」とは、イエス・キリストのことです。イエス・キリストに従うことであり、イエス・キリストの教えに生きることです。
細い道、狭い門はどこへと通じているのでしょうか。「命」に通じると言われています。神の義を与えられ、天の国(神の国)へと入ることができる道であり門です。そして神の義が与えられ、神の国が与えられるのは、ただイエス・キリストによる以外にありません。十字架の贖いの御業以外に、わたしたちを救う道も門もないのです。
イエス・キリストこそ狭い門です。洗礼は一人、一人授けられます。狭い門とは一人ずつしか通れない門ではないかと思います。一人、一人、キリストに招かれ、キリストを信じ、キリストに従う者とされるのです。
また狭い門はたくさんの荷物を持っていると通れない門ではないかと思います。わたしはあれができる、これを持っている。そういう荷物を手放して門を通っていくのです。先日、ある方と話をし、住み慣れた家を離れ施設に入ろうと思っていることを聞きました。持って行ける物はわずか。あれこれと捨てないと入れない。「何もなくなりました。信仰だけが残りました。先生、自由ですよ。」キリストがおられるのです。
イエスさまは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ福音書第14章6節)「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(同第10章9節)イエス・キリストがあなたのための道となってくださいます。イエス・キリストがあなたのための門となってくださいます。アーメン

(2024年8月18日礼拝説教より)

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