「神の前で心の衣を引き裂く(マタイ㉑)」
更新日:2024.7.17
マタイによる福音書 第6章16-18節
小林克哉牧師
ユダヤ人は年に一度「贖罪日」に断食をしました。その他にも特別に断食することがありました。祈願、悲嘆、悔い改めの時です。旧約聖書を見ますと、例えばエズラはイスラエルの民が捕囚の地からエルサレムへと向かう旅路の無事を祈願し断食したとあります。ダビデは預言者ナタンよりバトシェバとの過ちの罪を叱責され、生まれてくる子の死を告げられ、悔い改めと悲嘆のうちに断食したとあります。
イエスさまの時代、ファリサイ派の人は月曜日と木曜日の週二回断食していたようです。かなり熱心なことでした。しかしイエスさまは、どんなに熱心でも、そこに罪が入り込み偽善になるとご指摘されたのです。「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。」(16節)断食は神に対してするものです。人に熱心で敬虔な人だと言われるために見てもらおうとするなら偽善となり、神からの報いを求めているのでなく、人からの評判が報いとなってしまいます。
正教会のキリスト者であった杉原千畝さんは、ヨーロッパの小国リトアニアの日本領事として、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、日本通過のビザを求めてユダヤ人に本国の命令を無視しビザを発行し、日本のシンドラーと呼ばれている人です。杉原さんの次男は父親についてこう証言しています。「政府に背くことができても神に背くことはできないとクリスチャンである父は話していました。」
人に見てもらおうとするのでなく、神の御前に生きる。神が見ていてくださるのです。あなたを知っていてくださるのです。あなたの祈願を、あなたの悲嘆を、あなたの悔い改めを知り、その祈りを聞いてくださっています。祈り、奉仕、愛の業。神は見ていてくださいます。「それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたところを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(18節)神の前に生きる一週の旅を歩みましょう。アーメン
(2024年7月7日礼拝説教より)