「祈りの部屋へ入ろう(マタイ⑱)」
更新日:2024.6.11
マタイによる福音書 第6章5-15節
小林克哉牧師
聖書が教える祈りは、唯一真の神との交わり、愛の交わりです。祈りは神に向かうものです。それは神がわたしたちに向かっていてくださるということです。
イエスさまは「偽善者の祈り」があると言われます。あの人は立派で熱心だと思われるため、人に聞かれるための祈りです。それは神に向かっているのでなく、人に向かっているものです。イエスさまはわたしたちに向かっていてくださる神がどのようなお方であるかを教え、祈りの部屋へと招き入れてくださいます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(8節)
神はあなたのそば近くにおられ、あなたのことをみな分かっておられます。願いをかなえてもらおうとくどくどと祈らなくてもよいのです。小さな子どもが「お父さん」とか「お母さん」と呼びかけ、「のどが渇いた」と言う。子どもは飲むものをもらえると疑うこともない。いや父や母は、「飲み物ちょうだい」と言われる前に、必要に気づき飲み物を手にして待っている。人間の親にはるかにまさる父なる神がわたしたちの必要を知っていてくださっている。だから全幅の信頼をもって、罪赦され愛されている恵の中で祈ることができるのです。
人には自分でも蓋をしているような思い、自分でも向き合えないことがあるものです。誰にも知られたくないし、誰も分かるはずがないと諦めていることです。人はそこで孤独になる。しかし神はわたしたちのことをみなご存じであられます。その隠れたところで人は神に出会うのです。そこで罪赦されている恵み、神に愛されていることをより深く知り、祈ることができるのです。
イエスさまは祈りの部屋へとわたしたちを招き入れてくださいます。「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(6節)神はわたしたちを待っておられます。さあ、祈りの部屋に入り、神に向かい祈り出そうではありませんか。アーメン
(2024年6月2日礼拝説教より)