「神の恵みにより倍返し(マタイ⑮)」
更新日:2024.5.13
マタイによる福音書 第5章38-42節
小林克哉牧師
人は、自分が誰かにひどいことをしたことよりも、誰かが自分にしたひどいことを覚えているようです。人からされたひどいことはなかなか忘れられず、時にそれが黒く暗く重いかたまりのようになって、その人の心を病ませ、人生を苦々しくするのです。イエスさまは、わたしたちをそこから解放しようとされるのです。
日本人のメンタリティーの中に仇討ちの精神があります。仕返し、復讐、敵を討つ。日本人が好む、また心動かすことです。古くは「忠臣蔵」、数年前に流行ったのは「半沢直樹」の倍返しです。それに対してイエスさまが語られることは、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(39節)です。
左利きでなければ右の頬を打つとは、右手の甲で平手打ちをすることです。それは相手への侮辱の行為でした。打たれたら打ち返す。侮辱されたら侮辱し返す。切りがありません。倍返しに対して倍返しすればエスカレートするだけです。そのことが個人と個人、団体と団体、国と国において繰り返されます。これは深く人間の罪の問題なのです。
ある方がイエスさまと出会い、イエスさまを信じるようになりました。どうしても赦せない人がいた。ところが十字架の福音を聞き信じた。その方はわたしに「赦しを知った」と言われました。その方は気付きました。赦せなかったあの人を赦している自分にです。わたしは福音の力を思い知らされました。
イエスさまは裏切る弟子たちにも、ご自身を十字架につけたローマの兵士たちにも復讐することはありませんでした。それどころか罪人の罪が赦されるために十字架で身代わりとなって死んでくださったのです。心にできたそのかたまりを、人にぶつけるのではなく、このお方に渡してしまうのです。
イエスさまはわたしたちが復讐や恨みの虜になっていることをよしとされません。そこから解き放ち、赦しに生きるようにと招かれているのです。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。」(38-39節)アーメン
(2024年5月5日礼拝説教より)