札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「荒れ野の誘惑」

更新日:2016.2.15

マタイによる福音書4章1-11節(新P4)

牧師 米倉 美佐男

今朝は「荒れ野の誘惑」と呼ばれている箇所からメッセージを語ります。主イエスは伝道を開始するに当たり荒れ野で悪魔の誘惑に合われました。神の子が真の人となられた証しとして書かれています。三つの誘惑が試みられました。一つ目、主が断食されて空腹時、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」、主のお答えは「『人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる』(申8・3)と書いてある。」

二つ目、悪魔はエルサレム神殿の上で「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神が天使をつかわし、石に打ちあたらないように、あなたを支えるはずだから』(詩編91・11−12)」。主は「『あなたの神である主を試してはならない』(申6・16)とも書いてある」と答えられました。

三つ目はどう誘惑してもかなわないとみたか、イエスを高い山に連れて行き、世の国々の繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と。主は「退けサタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』(申命記6・13)と書いてある」と答えられました。

悪魔でさえも聖書を用います。しかし御言葉を自分の都合の良い解釈で語り、権威付けるだけです。神の御旨を求める謙遜さはありません。主イエスが語るみ言葉は誰でも使えるものです。申命記はモーセによるエジプト脱出の話です。荒野でのマナの記事、マッサの出来事、荒れ野の旅が終了し、約束の地、カナンに入ろうとする直前、イスラエルの民に与えられた神のご命令、を通して示されるのは大いなる神のみ業と救いの恵みでありました。本当の救いは御言葉の確かさです。神のみ旨を求め、神を試みるのでなく、信頼して従うことが求められます。栄光は主にのみ。

(2016年2月7日降誕節第7主日礼拝説教より)

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