札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「地の塩、世の光とされ(マタイ⑩)」

更新日:2024.3.18

マタイによる福音書第5章13-16節

小林克哉牧師

イエスさまは弟子たちに「あなたがたは地の塩である」(13節)「あなたがたは世の光である」(14節)と言われます。地の塩、世の光に「なりなさい」「ならねばならない」と言われません。イエス・キリストに語りかけられ、天の国の接近を知り、悔い改め、神への向きを変え、神を信じ、イエス・キリストに従って来た「あなたがた」が地の塩、世の光「である」と言われるのです。「あなたがた」です。一人一人がというより、弟子たち、すなわち教会が地の塩、世の光だと言われるのです。
「地」とは神から離れ、神に背く罪の現実です。「塩」は防腐作用があり、清めるものです。罪と死の腐敗から守り、神とその救いを伝えて人を罪から清めるのです。「塩」は味を付けるものです。無味乾燥な世にあって神に創られ愛され生かされている恵みを証しし、真実に生きる意味を与えるのです。「光」は照らすものです。それまで見えなかった神がおられ、今も生きて働いておられるという現実、神の救いと真理を見えるようにするのです。「すべてを」(15節)とありますが、ユダヤ人だけでなく異邦人も、すべての人にです。
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(16節)と言われます。「立派な行い」は単純に訳せば「良い行い」です。洗礼者ヨハネは「悔い改めにふさわしい実を結べ。・・・・良い実を」(第3章11節)と言いましたが、「良い実」とは悔い改めの実です。神に立ち帰り、神へと向かうことです。その姿です。イエス・キリストにより罪赦され神の子とされ、神を信頼し「父よ」と親しく祈る者とされ、神を礼拝し、キリストに従い伝道する姿です。教会に集う一人一人は神の御前に罪人ですから、教会にも欠けや弱さがあり、罪を犯すこともあります。しかしその教会が「地の塩」「世の光」とされているのです。
この世界に、神を礼拝し、神をあがめる教会が存在していることは、天の国への神の招きです。欠けがあり弱さがあり、罪を犯すわたしたちですが、イエス・キリストはわたしたちの群れにも地の塩、世の光であると宣言してくださるのです。アーメン

(2024年3月10日礼拝説教より)

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