「悔い改めよ。天の国は近づいた(マタイ④)」
更新日:2024.2.5
マタイによる福音書 第3章1―12節
小林克哉牧師
「悔い改めよ。天の国は近づいた」(2節)と荒れ野で叫ぶ者の声がします。その声は最初、二千年前のユダヤの荒れ野で宣べ伝えられました。主イエス・キリストも、町々村々へ遣わされた十二弟子たちも、聖霊の注ぎを受け誕生したキリストの教会も語り続けて来ました。今も現代という荒れ野に生きる者たちに、キリストの教会は宣べ伝えています。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」。
イエスさまの誕生から三十年近くが経っていました。突然のようにユダヤの荒れ野に現れた預言者がいました。いや預言者以上の者、洗礼者ヨハネです。アブラハムの子孫、神の選民であると自負していたユダヤの民に「悔い改めよ」と叫びました。律法を徹底的に守っていたファリサイ派の人々にもです。自分を誇り、自分を頼り、自分へと思いを向けている人間に「悔い改めよ」と言ったのです。「天の国が近づいた」からだと。
この場合「天」とは「神」の言い換えです。神の愛と恵みのご支配が近づいた。神の方から人間へと近づいて来てくださった。だから「悔い改めよ」と言うのです。「悔い改め」は、元の言葉では向きを変えることであり、旧約聖書では神に「立ち帰れ」と言われています。「罪を告白し」(6節)とは神との関係の破れを認めることです。神になしに生きていた自分を認めるのです。人間は自分の義に寄り頼み、自分が属する何かに寄り頼むことをもうしなくてよいのです。人からの評価も、自負も、もういらないのです。神がイエス・キリストによって近づいて来られたからです。
現代の荒れ野に生きるわたしたちにも罪を告白し、悔い改め、神に立ち帰れとの声が聞こえてきます。神に創られ生かされているにもかかわらず、神を忘れ神に背いている者に、まず神の方から近づいて来てくださったのです。わたしたちの罪を聖霊と火で焼き尽くし清めてしまわれるお方、イエス・キリストとして近づいて来てくださったのです。だから、わたしたちは神へと全身全霊を向けて生き始めることができる。そしてわたしたちも現代という荒れ野に生きる人たちに、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝え続けるのです。アーメン
(2024年1月28日礼拝説教より)