「歓迎されない救い主(降誕物語②)」
更新日:2023.12.25
ルカによる福音書 第2章1-7節
小林克哉牧師
御言葉はクリスマスを直前にした人間の姿を記します。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。」(1節)時の権力者が税金を徴収するために住民登録を実施したのでした。まさか神の御子、救い主が来ようとしているとは思ってもいなかったでしょう。世界は自分たちのことで忙しく心が一杯です。神のことなど、救い主のことなど、端から考えていないし、考えようともしなかったのです。
御言葉は続きます。「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」(3節)世の流れには抗えません。マリアとヨセフもそうでした。天使の御告げを受けたマリアは聖霊により懐妊し、救い主の誕生を任されていました。マリアもヨセフも神が生きて働いておられることを、神がこの世界に対し救いのご意志をもってご計画を進めておられることを知っていたのです。しかし今しなければならないことで精一杯な日を過ごさねばならなかったのです。ベツレヘムに行かなければならないのです。
御言葉は続きます。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(6-7節)人間には救い主を迎え入れるところはなかったのでした。世界は大変で、毎日は忙しく、とても神さまのための場所などないのです。宿屋には泊まるところはありませんでした。しかし救い主は生まれてくださった、神は来てくださったのです。
神はわたしたちに歓迎する準備ができたら、あなたたちのもとに行こうと言われるのではないのです。神はお止めにならなかった。歓迎されなくても来てくださったのです。この世界で生きねばならないわたしたちのところに来てくださったのです。イエス・キリストは歓迎されない救い主としてお生まれくださったのです。その最後は十字架でした。
歓迎されない救い主は、わたしたちを神の国へと歓迎するために、十字架で死んでくださったのです。たとえわたしたちが歓迎しないとしても、神はそれでも来てくださったし、今も来てくださり語り続けていてくださるのです。アーメン
(2023年12月17日礼拝説教より)