「神がわたしたちを愛された(1ヨハネ8)」
更新日:2023.8.17
ヨハネの手紙一 第4章13-21節
小林克哉牧師
一つの伝説があります。ヨハネの教会の主の日の礼拝です。長老ヨハネはかなりの高齢になっていた。礼拝が進み説教に。「ヨハネ先生に説教をしていただきます。」ヨハネが立ち上がり、説教卓に進み人々の前に立つ。長老ヨハネは語ります。「神は愛なり。」ヨハネがそう語ると、聞いている皆の心にその御言葉が刻まれ染み渡っていく。会衆は心の中で「アーメン」と応える。たった一言の説教。長老ヨハネが語る福音。「神は愛なり。」
長老ヨハネは呼びかけます。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(7-8節)
御言葉は「互いに愛し合いなさい」と言います。わたしたちが互いに愛し合う理由・根拠・源は神が愛だからです。理由は他にありませんし必要もありません。ここで言う愛は家族愛や恋愛、友情では説明がつかないものです。神は独り子をお与えになるほどに愛してくださったのです。神はわたしたちが逆らい背を向けていた時に愛してくださったのです。逆らう者の罪を赦すため、身代わりに命をささげ、独り子を与えて愛してくださったのです。ただ一方的に見返りを求めず愛してくださったのです。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(9-10節)この愛を知る時、わたしたちも見返りを求めず愛し合うことが始まるのです。
わたしたちの教会の礼拝堂正面の上部には「神是愛」と刻まれています。わたしたちは教会に来る度に「神は愛である」ことを心に刻むのです。そして御子イエス・キリストの十字架を仰ぎ、神がわたしたちを愛していてくださることを知り、互いに愛し合いながらこの町に福音を宣べ伝え続けて行くのです。アーメン
(2023年8月6日礼拝説教より)